コラム

コラム

  • 都市防災研究室(越山健治)
  • 〒569-1098
  • 大阪府高槻市白梅町7番1号
  • 関西大学社会安全学部 西館
  • M1006(個人研究室)
  • M1022(ゼミ室)
  • 072-684-4156
  • k-koshi kansai-u.ac.jp

 『未来の都市防災計画とは何か?』

災害に備えるためには、「物理的強度」と「社会的強度」両方の要素について考える必要がある。 古来、数多くの自然災害を乗り越えてきた日本で、都市防災の未来像を考える上では、新しい「社会的強度」の獲得が解となるであろう。 20世紀の日本における都市計画、防災施策も振り返りつつ、21世紀の都市防災計画を定義し直すために必要な事柄について考えてみたい。

災害と日本社会の関係

日本では数多くの自然災害が発生し、各地域に被害を毎年のようにもたらしている。そして記憶に新しい2011年の東日本大震災の状況は、激甚な津波被災地区はもちろん、広範囲の強い揺れ、土砂災害、広域停電、原発事故、帰宅困難者等々、東日本一帯で災害が発生したといっても過言ではない。21世紀に入り、私たち日本社会は「災害」との関係を見つめ直すことを求められているのであろう。

日本における防災対策の構図

しかし現在の日本で、一人一人が日常の生活を送る上で、頻繁に自然災害を意識し備えないとならない環境にはほとんどない。「災害」は特別な状況であり、非日常な環境を意味する言葉である。そう考えると日本社会は、世界諸地域と比較しても相当高いレベルの「災害防止強度」を持つ環境を有しているといえる。

日本でほとんど被害の生じないレベルの地震動や台風、大雨が、場所を変えると大規模な災害へと様相を変えることはよくある。これらは、(災害被害)=(災害を起こす自然の力)×(社会の脆弱性)によって説明される。(社会の脆弱性)は、つまりは「災害防止強度」であり、これらが物理的強度と社会的強度で構成されていると考えると、日本社会は災害に対抗する一定の社会の力を有している(脆弱性が低い)と表現できる。特に、治山・治水の管理、構造物の強度、自然現象のモニタリングおよび情報通信といった科学技術による物理的強度の効果は非常に大きい。

この環境は一朝一夕で生まれたものではない。災害の歴史を辿ると、約70年前、太平洋戦争終了直後の日本では、度々大規模災害が発生していた。さらに30年遡ったとしても、地震・噴火・洪水・台風・火災など多くの大規模自然災害が発生している。人生80年とするとほんの一世代前までは、現在の我々が想像するよりはるかに「災害」と人との距離が近い環境にあったといえる。

『災害に対する空間対応力を備えたレジリエンス社会』

東日本大震災が我が国の災害対策に示した警鐘は数多くあるが、その一つとして災害を見据えた「空間」計画のあり方がある。東日本沿岸一体に渡る超広域災害、 集落や産業基盤を丸ごと破壊した市町村レベルの超激甚災害は、まさにこの課題を具現化し、またその課題が突きつける現実を現在も示し続けている。

空間が持つ防災・減災上の機能は、主に予防・準備と対応・復旧・復興に分けられる。予防の空間とは、緑地・道路による延焼遮断帯や堤防など土木構造物など、 災害現象に対抗し防ぐ方策である。準備の空間とは、公園・公共施設の配置など、避難場所の確保、物資の備蓄等、非常時の社会全体の危険回避や対応行動に準備する空間を指す。 これまでの災害対策計画では、この予防・準備の空間設定が重視されてきた。

一方で、対応・復旧・復興の空間も存在する。被災者が一時的に生活を行う避難所、外部支援拠点となる公園、災害廃棄物の一次保管場所、仮設住宅の建設敷地、集団移転場所の整備、 復興公営住宅の建設敷地などがそれにあたる。通常、これらも事前にある程度計画されているが、残念ながら想定通りに事が進むことはほとんどない。

現代社会が持つ災害被害の不確定性を考えると、被害発生量を完全にコントロールすることには限界があり、被害発生後の社会状況の混乱を最小限に抑え、 復旧・復興をうまく成し遂げていく力、つまり「レジリエンス」が必要であると指摘されている。このレジリエンスの概念に当てはまるのが、 対応・復旧・復興の空間配置および空間利用方法であるといえる。

特に、災害被害によるすまいの大量滅失は、一人一人の住宅としての機能だけでなく、近隣関係、さらには地域活動そのものを破壊する。 また、これらの再構築には相当な費用と時間が必要であり、「直接被害」×「再構築までの時間」で示される損失量は多大なものとなる。

すまいの再建過程は、これまでの研究によると、災害発生時点で公的機関が利用できる空間の広さ及び、そのマネジメント方策によって大きく規定されることが指摘されている。 例えば、仮設住宅用地が不足し、被災地から離れた場所に住宅団地を配置した結果、被災者と地域再建の間に溝をもたらす事例や、仮設住宅から復興公営住宅への画一的な供給方法・入居者選択システムから、 一連の再建プロセスにおいて、被災者の移転負担や近隣の人間関係の断絶、新たな環境への適応力の低下などを生み、その結果として個々の生活再建の遅れに繋がることや、 さらには復興を目指す地域の活力が失われるなどの事例が指摘されている。

一方、災害対応する側の立場で見てみると、自治体にとって災害時の土地空間の確保は、選定・調整・交渉など、どれをとっても負担の大きい業務となる。 多くの場合、この土地調達速度が仮住まい等の供給速度を決定する。仮住まいに関する一連の過程が遅れると、その分人々の生活再建が遅れ、それは地域再建自体を困難にする原因となる。 しかしスピードを優先させすぎると、被災者の個別課題が顕在化する。

このスピードときめ細やかな対応のバランスは、確かに非常に難しい事案であるが、まさにその難しい事案への対策が遅れ、災害の度に繰り返されているのが現実であり、 そろそろこの課題を解消する新たな考え方が必要である。

事前の空間管理が復興像を制約する

以上から、地域における空間量とその配置が、被害防止対策だけでなく、災害後の回復過程にも大いに影響を与えること、さらにこれらをマネジメントすることの重要性はいうまでもない。

災害対応に利用できる空間量は、官民の通常活動の中で当然日々変化する。その際、災害発生後の混乱を最小化することを念頭に置いて、日常からその量・位置をモニタリングすることが必要である。 特に空間分布は、災害後の地域再建シナリオを左右する要素である。この空間分布がもたらす災害対応課題に対しては、ソフトの計画面で考慮しておく必要もある。

『葛藤を越えた先の復興を議論する』
2013年日本災害復興学会News letter Vol.16, 一部抜粋

東日本大震災から約2年半が過ぎ、被災地の話題が全国ニュースに占める割合は減少してきている。 災害という非日常から日常を取り戻すのが復興だとするのであれば、直接被災地と関係していない人にとってみれば、ごく当然の流れなのかもしれない。

しかし、被災地およびその関係者の間では、災害を起因とした現在の問題は、ますます複雑化し、未だ多くの人が困難な状況の中で暮らしていることも事実である。 この避けようのない内と外のギャップにどのような対処法があるのであろうか?

一方、被災地内においても、災害から時間が経つにつれて被災者の立場には徐々に多様性が発生する。言い換えるならば、日常の個々の多様性ある社会に近づいていく 。緊急時から応急復旧期にかけて実行されてきた社会課題を抽出し、効果的な対策を打つといった問題解決型対応だけでは対処できない事案が増えてきた。

そうした被災者間の多様性は、支援策にさえ問題を引き起こす要因を付加していく。ある対象に対する支援策が、別の対象の問題につながることも考えられる。 これまで維持されてきた被害による一種の公平感が崩れていくと、あらゆる方策がなんらかの不公平感を生むものとなる。

これらは結局どこかに「折り合い」をつけなければ先には進まない。まさに復興とは人間が物事について「折り合い」をつけていく過程なのかもしれない。 そこには様々な種類の「葛藤」が発生し、またこれらを乗り越えていく中で生まれる新しいものこそ復興過程の生産物と意味づけられるのではないか。

『被害想定のとらえ方』
2013年 産経新聞掲載原稿 

南海トラフを震源とした巨大地震の被害想定が公表され、社会おける被害様相が見えてきた。これまでとは桁の違う被害量が意味するところは、 備えを怠ると国家的災害になる、という警鐘でもある。東日本大震災を見てもわかるように、広域で激甚な物理的破壊現象は、直後だけでなく、 その後延々と社会に被害を及ぼし続ける。つまり時間が被害を拡大させていくのである。被害軽減対策をする意味は、地震・津波等による直接被害だけでなく、 その後の社会が再建していく中で失う継続的被害を最小限に食い止めることでもある。また並行して素早い再建を可能にする社会を構築することが必要になってくる。 その意味で、災害後の社会状況を被害量だけでなくシナリオで想定しておくことが重要である。

災害後の再建シナリオを具体化することは難しい作業である。膨大な被害は状況の不確実性を増加させるからである。しかしこれまでの災害事例から「日常社会の弱点が表出する」 「日頃できないことは災害時にはできない」「災害前の社会トレンドを加速する」ことはおおよそ確かである。これらを踏まえて、災害がおこると何が起こるのか、いくつかのシナリオを作り上げることは可能である。

一方で、被害想定結果を過度に恐れることはない。この想定量は、その数字が本当に起こるかどうかを見るものではなく、対策を打つための目標として考えるものである。 つまり絶望のための数字ではなく、未来の希望のための数字である。今回の想定結果は、日常の社会構造や生活スタイル自体を考え直し、徐々に変化させていく必要性をも示している。 どうやら21世紀の日本は新たな防災力を持つ社会づくりに挑戦する時代となりそうである。 この巨大地震を迎え撃つ社会を作り上げるには、われわれに残されている時間は長いようで短い。この被害現象を軽減し、なんとか対応可能な社会を、この一、二世代で作り上げられるかどうか。実はすでに待ったなしである。